2005年06月17日
もっとお話ししましょう。
縁あって社外の人間がブログに記事を書くことになりました。
わたしは現在ソフィックスの社員の方を含めて数名で高校の総合学習の社会人講師をやっています。
内容はサッカーロボを作ってプログラムを学習するもので、
9月まで週に1~2度学校に通います。
リンク先を見て貰うとわかりますが、ハードウェアはプラモデルのようなものです。
これにCPUが乗っていて、PCで組んだプログラムをダウンロードすることで自律走行するロボットです。
1チーム5名で一台のサッカーロボを作るのですが、ハードウェアを組み立てる
段階では手分けして組み立てるので、共同作業といった感じになりませんが、プ
ログラムに取りかかると1台しか無いのでチーム内で話をして互いに何を考えて
いるのかを理解する必要があります。
ところが高校生はどうもまとまった会話をすることが不得意な様子なのです。
先日の授業では「もっと話しして」と指導しました。
一方社会人では会話・コミュニケーションに問題が無いのか?というと、
ちょっと気になることがあります。
「最近、インターネットの普及で長文が無くなった」という情報です。
確かに、以前に比べると長文は減ってきたと感じます。
さらに、どうも会話・コミュニケーションが必要な場面で正しく対応するのが困
難なのかな?という印象もあります。
いわゆるタメ口が出てしまうといったことですね。
ちょっと絵を描いてみました。

この絵の個々の「クラス会の通知」と「報告書」の堅苦しさの程度とか、難易度
の評価は色々でしょうが、コミュニケーションとはこんな要素で成り立っている面もあります。
堅苦しくなる理由は、お得意様相手であったり年上の人相手だったりするからでしょう。
しかし、相手によって堅苦しさの度合いが決まるわけではありません。
例えば、営業に来たのが同級生だった、なんて場面を考えるとあらかじめ構える
ことは出来ません。結局は出たとこ勝負になるでしょう。
つまり、この絵のどの場面にも移動する可能性があるわけで、そうなってもお話
ししてコミュニケーション出来ることが重要なのですが、先に書いた「長文が
減った」という現象はこのような観点からは、ちょっとまずいことでしょう。
投稿者 ishii : 11:11 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月07日
第一回「読み書きソロバン」
社外の人が書いてよ」という話しになって、スペースを貰いました。
わたしは、機械、ソフトウェア、ネットワークと渡り歩いて来た者です。
ソフィックスの関わる分野やその周辺について書いていこうと思います。
第一回「読み書きソロバン」
江戸時代後半には庶民が寺子屋などで子どもたちの教育を熱心したことは
世界的に見ても珍しいことだったようです。
「読み書きソロバン」というのはこのころの教育の形を示すものです。
読み書きソロバンは実務教育であったのでしょうが、社会的には非常に有用な能
力であって、良くまとめたものだと感心しています。
最近のインターネット掲示板などの表現はパソコン通信が始まったばかりの90
年代前半に比べると明らかに文章の長さが短くなってきています。
中には文章が短いがゆえに喧嘩になる、といった事例も見えるようになりました。
なぜこうなったのだろうか?とネット上で聞いてみたのですが、原因の一つは
キーボード入力が辛いからではないだろうか?という意見がありました。
しかしその一方で明らかに読む能力も落ちてきていて、高校生はとにかくとして
大学生でも難しい言葉が読めないという人をよく見かけます。
キーボードで文章を書くのが大変であれば、キーボードを取り替えるとか音声入
力を使うとか、ネット上であれば自分を表現するために必要な技術が無い、とは
言えないでしょう。
そうなると「表現することがないから」「表現の仕方が分からないから」という
理由で文章が短くなった、という要素も否定できないように思います。
では、文章に代表される自分を表現する能力とはどう評価するべきか?を考える
と「読み書きソロバン」に戻ってしまうのです。
「読むことが出来ないと、書くことは難しい、計算は割と簡単に学べる」と読ん
でみると、大学入試センター試験に代表されるマークシート方式の試験が多くな
りすぎたことが、読み書きソロバンの順序をひっくり返してしまったのでは無い
でしょうか?
やはり「読み書きソロバン」の順序で必要なのでしょう。